(日本語) 現在の大河ドラマの主人公『渋沢栄一』。
江戸時代末期、明治、大正、昭和にかけて、日本の近代化に大きな役割を果たした実業家で、 2024年度からは福沢諭吉に代わり、新らしい1万円札の「顔」になります。 実は頻繁に渋川市の伊香保温泉に滞在したことでも知られており、群馬県にある世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」とも深い関わりがあります。
「渋沢栄一」は、1840年(天保11年)2月13日に、現在の埼玉県深谷市で誕生しました。 幼い頃から家業の農家や藍玉製造、養蚕を手伝う一方、父から学問の手ほどきを受け、いとこの尾高惇忠から本格的に「論語」などを学びました。 幕末には、「尊王攘夷」思想の影響を受け、惇忠やいとこの渋沢喜作たちとともに高崎城乗っ取り・横浜外国商館焼き討ちの計画を立てたこともありましたが、 計画が中止になると、村を出奔し京都で一橋慶喜(後の15代将軍)に仕えることになります。 15代将軍となった徳川慶喜の弟・徳川昭武がパリの万国博覧会出席のため渡欧する際には随行し、約1年間の滞在の間、西洋の産業や文化に触れ、見聞を広めます。 帰国後は、西洋で知り得た知識をもとに、銀行と商社を兼業する組織を静岡に設立しましたが、大隈重信から明治政府にスカウトされ、民部省(後に大蔵省に合併)の役人として新しい日本の国づくりに関わります。政府への仕官は4年ほどと短いものでしたが、日本近代化の象徴とされる富岡製糸場の設立に関わったのもこの時期です。
養蚕に詳しかったこともあり、1870(明治3)年には製糸場建設の設置主任となります。 1873年に明治政府を退官後は、日本の近代産業育成をリードし、第一国立銀行(現みずほ銀行)など500社以上の企業の設立や、 約600の教育機関 ・社会公共事業の支援と民間外交に尽力し、数多くの功績を残しました。
渋沢栄一記念館では1995(平成7)年11月11日(栄一の祥月命日)に開館した渋沢栄一ゆかりの遺墨や写真などの資料展示や映像を見ることができます。
資料館や旧家のある深谷市と、伊香保はお車で1時間ほどです。 渋沢栄一にゆかりのあるスポットを巡ってみてはいかがでしょうか。
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